マリー・フォン・バーデン (1782-1808)
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マリー・フォン・バーデン Marie von Baden | |
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ツェーリンゲン家 | |
ブラウンシュヴァイク公爵夫人マリー、ヨハン・ハインリヒ・シュレーダー(Johann Heinrich Schröder)画 | |
出生 |
1782年9月7日 神聖ローマ帝国 バーデン辺境伯領、カールスルーエ |
死去 |
1808年12月8日(26歳没) バーデン大公国、ブルッフザール |
埋葬 | バーデン大公国、プフォルツハイム |
配偶者 | ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フリードリヒ・ヴィルヘルム |
子女 |
カール2世 ヴィルヘルム |
父親 | カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン |
母親 | アマーリエ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
マリー・エリーザベト・ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデン(ドイツ語: Elisabeth Wilhelmine von Baden, 1782年9月7日 - 1808年12月8日)は、ドイツのバーデン辺境伯家の公女で、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フリードリヒ・ヴィルヘルムの妻。
生涯
[編集]バーデンの世継ぎ公子カール・ルートヴィヒと、その妻でヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘であるアマーリエの間の五女として生まれた。1802年11月1日にブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公爵家の四男フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚した。
夫の領地が属するブラウンシュヴァイク=リューネブルク公爵領がナポレオンの弟ジェローム・ボナパルトの創設したヴェストファーレン王国領に併合されると、マリーは2人の幼い息子と一緒に弟カールの住むプフォルツハイムに避難し、1808年に出産に際して死去した。
子女
[編集]- カール・フリードリヒ(1804年 - 1873年) - ブラウンシュヴァイク公
- ヴィルヘルム・アウグスト・ルートヴィヒ・マクシミリアン・フリードリヒ(1806年 - 1884年)) - ブラウンシュヴァイク公